自動車分野に縁のある芝浦と、再開発進むJR田町駅前(ムスブ田町)
(はじめに)
日産・三菱・ルノーの3社連合が展開する中で突然発覚したトップの逮捕(現在は保釈中)再構築の道。その一角を担う三菱自動車工業が長らく拠点にしてきた東京・港区JR田町駅西側そばの本社が、駅を挟んで東側の芝浦口そばに新たに開発された複合施設のオフィス棟にこのほど移転。従来から田町駅周辺には工場や倉庫街もあった関係から、自動車分野の企業や施設が以前から点在してきた。そこで地域では初の大型複合施設の完成となった「ムスブ田町」と自動車分野と関連の深い“芝浦地区の今昔”を紹介しよう。
三菱自動車工業本社の移転と芝浦の歴史
東京オリンピック・パラリンピックを一年後に控え、都内は新国立競技場や各競技施設などの建設ラッシュが進む。そのなかJR東日本の山手線と京浜東北線が通過する田町駅(東京・港区)前の西側(三田口)にあった三菱自動車工業(益子修会長CEO)本社が、線路を挟んだ同駅東側の芝浦口そばに完成した複合施設の「ムスブ 田町ステーションタワーS棟」の上層階に新本社機能(7フロア)を構えることになった。
これにより前本社ビルのショールームで開催されていた報道向けの新型車発表会や益子CEOの記者会見は終了し、別途新たな場所が設けられる。外部者がコメントするのもどうかと思うが、旧オフィスより4~5倍階数が高くなった分、社員にとって高層フロアからの眺望は良くなったものの、その分エレベーターの利用時間も長くなったであろう。
旧本社ビルの土地。かって江戸幕府の開城を迫る西郷隆盛と勝海舟が会談した、由緒ある薩摩屋敷があったところ。今後の再開発で石碑が残るか、歴史ファンも気になるところだ。3社連合が今後どうなるかは流動的にて、外野席がとやかく騒ぐ必要はない。それよりも今後ともMITSUBISHIらしい魅力ある商品づくりと、継続性のあるグローバル展開を期待したい。その回答になるのが、昨年末にRJCカーオブザイヤーを受賞したコンパクトSUV「エクリプス クロス」をはじめ、2月に登場した本格オールランドSUV「デリカD:5」のニューモデルに加え、 三菱自動車が得意とする軽自動車で「eKワゴン」と日産の「デイズ」の新型モデルが今月28日に発表される。
田町駅東側となる芝浦地区(町名では芝浦1丁目~4丁目)。以前は「人が住まない、工場と倉庫ばかりの芝浦」と揶揄された時代もあった東京港の臨海部にある、大正から昭和初期に埋め立てられた地域だ。今や都心に近いことでの、相次ぐ高層マンションの建設や台場地区と結ぶレインボーブリッジ。近隣の品川駅での「リニア新幹線駅」工事。そして山手・京浜東北線の新駅となる「高輪ゲーウェイ駅」(来年夏の開業予定)の建設など、発展が止まらないエリアにある。
いち早く芝浦に拠点を構えたヤナセ
芝浦の歴史は江戸時代、東京湾内であったことから古地図で知られる。さらに明治や大正時代には海水浴場や江戸前寿司のネタとなる海苔や魚介類があがる雑漁場があったという。初めての埋め立てともいえる工事が、明治5年(1872年)にわが最初の鉄道として新橋(現在の汐留)・横浜(同桜木町)間に開通した線路敷設が完成。同時に近代産業である東芝(東京芝浦電気)の発祥地や東京都電の修理工場(現在地は高層マンション群)があったことなど、工場地帯と倉庫街へと発達してきたことは確か。
芝浦と自動車といえば、輸入車販売を扱う「ヤナセ」(株式会社ヤナセ・吉田多孝社長)を外すことはできない。大正4年(1915年)、初代社長の梁瀬長太郎氏による「梁瀬商会」が日比谷に開業。米国車のビュイックとキャデラックを販売したことに始まる。その後、本社業務や整備工場、駐車場確保の面から、現在の芝浦に本社を昭和24年(1949年)に移転。2代目社長となった梁瀬次郎氏は、戦後日本の経済成長や所得向上が進む時代をとらえ、米国車のみならずメルセデス・ベンツやフォルクスワーゲンなどの欧州車も扱うようになり、芝浦のイメージも変化してきた。そして、ヤナセは平成27年(2015年)に創立100周年を迎えるなど、日本のモータリゼーション発達の一翼を担ってきている。またそれに先立つ平成24年(2012年)には新社屋が完成。新車・中古車を問わず、「YANASE」ならではのきめの細かいサービスを全国に展開しつつ、平成30年(2018年)には新車累計販売台数200万台を達成している。
その他、トヨタ自動車系列販売店の整備も行われてきたトヨタテクノクラフト(現在は横浜市に移転)の後には、東京都内のトヨタ系販売店の重整備などを行う施設も稼働している。さらに西口の三田側近くにはフィアット・クライスラー・Jeepを扱うFCAジャパン本社(ボンタス・ヘグスロム社長)のオフィスも構える。
駅前の小学校跡地は、地元発展のシンボルに
芝浦側といえば駅前に東京工業大学附属科学技術高等学校(昭和2年・1927年設立)と、ムスブ田町の以前は区立小学校で構成されてきた。そして近隣に芝浦工業大学(昭和24年・1949年創立)の芝浦キャンパスと東京ガスのガスタンクが存在するなど、とてもオフィスや商業エリアの環境ではなかった。それがウォーターフロントブームの到来で、空いていた倉庫の有効活用を依頼された大手商社マンと海外レジャー企業の共同出資によるオープンしたのが、
“お立ち台”で有名になった「ジュリアナ東京」(199~1994年)や、運河沿いのカフェができたのも芝浦エリアである。
ムスブ田町の開発は、田町駅前の地域発展の観点から、地元港区役所(当時の小学校)と東京ガス(当時のガスタンク)による土地交換に加え、デベロッパー大手の三井不動産と三菱地所による初めての共同プロジェクトとして事業化となった。施設建屋は大きく分けると、三菱自動車はじめ企業関係が入居する地上31階、地下2階からなる“田町ステーションタワーS棟”(工事施工は大成建設)。隣接する敷地内では、東京ガスが建設を進める“田町ステーションタワーN棟”(地上36階・地下2階)(工事施工は清水建設)が工事中。
ステーションタワーSの1階には、スーパーマーケットの「ライフ田町店」が構える。もともと関西エリアが主力と郊外店が中心の食品量販店であるが、田町店は都心部初の店舗として地元区民に親しまれつつある。その他、低層階の建屋には、コンビニエンスストアやレストランなど街場の店舗が営業する。
海外ブランドホテル「プルマン東京田町」
田町駅からはムスブ田町に直結する2階部分の連絡デッキとテラスエリアがあり、オフィス用エレベーターエリア(3階)や商業施設等のアクセスとなっている。テラスエリアの一角には単体の9階建ホテル「プルマン東京田町」(ダーレン・モリッシュ総支配人)が建つ。客室数143室で、最上階には異色のルーフトップバーを備える趣向。宴会場もコンパクトな1室のみ。こざっぱりした、落ち着いた雰囲気が特徴だ。
運営するのはパリに本社をおき全世界で4100軒あまりのホテル、リゾート、レジデンスを展開する「アコーホテルズ」で、プルマンはその名の通り上級クラスのホテルブランドで、世界33ヶ国・117施設(2019年3月末現在)を展開している。それだけにフロントエリアはじめレストラン(KASA)エリアはコンパクトなしつらえで、ムスブ田町の一角にありながら落ち着いた雰囲気を保っている。滞在者は欧米ビジネス客や中国・東南アジアの富裕層が主流とのこと(宿泊料は、税・サービス料込で58,000円~)。プルマン東京田町は宿泊するだけではない、フロントエリアにある2人掛けシートやラウンジエリアでのコーヒー。KASAでの食事もリーゾナブルだ。
浜田拓郎