【道路問題】マガジンX 2015年3月号 掲載
— 読者より応援メッセージ —
貴誌の運転についての記事に感動しました!
初めまして。兵庫県に住む27歳男性です。先日、たまたま書店にて貴誌の運転についての記事を目にし、感動しました。
本当に最近は思考力を使わず、周りを把握せずに運転している運転手が多いと嘆いているところです。楽に運転できるのと、安易に運転するのは必ずしも同意であってはならないとの文章、大変同感です。前方の危険を察知し、ブレーキングした時に効くABSや踏力をアシストするシステムは画期的なものですが、踏んでもいないブレーキが効く、踏んでもいないアクセルが適量に作動する車が果たして必要でしょうか?
自分のような年齢の者が言うのもおかしいかもしれませんが、交通社会が身近になったからこそ真に必要な技術や運転が見つめ直されるべきだと思います。このような考えがネットやメディア等に拡がり、世間一般の方々や、とりわけ車のメーカー関係者に浸透し、交通社会の在り方を再考するきっかけになってくれないかと、切に願います。今や同感するのは少数派なのかもしれませんが、このような記事を是非とも粘り強く掲載し続けていかれますよう、影ながら応援いたしております。(長文のため文章を割愛いたしました。ご了承ください。)
筆者より
応援のメール、心より感謝します。少しずつですが、みなさんより温かいお言葉をいただけるようになり心強い限りです。これからも気になる交通問題を誌面にてとり上げていきますので、是非ともみなさんのご意見をお聞かせください。また、みなさんが普段から気にされている交通問題についてもお聞かせ下さい。お待ちしています。
— 以下、本文 —
最近、クルマの運転を軽く考えているドライバーが多すぎないか。たとえば、重大事故が続いている道路の逆走問題。普通では考えられない状況がなぜ起こってしまうのか?交通ルールを甘く考えているとしか考えようのないドライバーについて考えてみた。
あまりに適当にクルマの運転をする人が多すぎる
日頃の暮らしの中で、気になる交通問題を取り上げているこのコーナー。少しずつ反響が返ってきており、賛同してくれる読者がいることが、とても心強い。小さなことでも、誰かが気にして声を上げていかないと、世の中は段々といい加減な方に、悪い方に流されがち。交通ルールはその最たるものかもしれない。
確かに、停止線でちゃんと停止しなくても、車線変更時にウインカーを出さなくても、右左折時に正しいラインを通らなくても、コーナリング時に対向車線にはみ出しても、なにも起きなければそのまま通過できるだろう。しかし、そういった小さなことをいい加減にして運転をしていると、いざというとき正しい運転ができなくなってしまうもの。そして、最悪の場合、それが大きな事故を引き起こすキッカケになる可能性が高い。事故を起こしてから悔やんでも後の祭りだ。いや、悔やむことができればまだいいかもしれない。残された家族が大変な目に遭うかもしれないなど、いい加減な運転をしているドライバーは、これっぽっちも想像したことがないに違いない。
先日も市街地の見通しの悪い十字路で、ドイツ車に乗った高齢の女性が止まれの標識を無視して突っ切っていくのを見かけた。停止線で一時停止するなど、簡単なことだろう。しかし、ずっと同じように一時停止をしてこなかったドライバーは、急には止まれない。さらに歳をとって判断力が鈍れば、危険度はもっと高まるはず。大きな事故を起こさなければいいのだが、と祈らずにはいられなかった。
わずかなこと、小さなことを積み重ねてきちんと運転する。そんなに難しいことではないはずだ。それをしないというのは、クルマの運転をあまりに軽く見ているのではないだろうか。いまのクルマは、エンジンも簡単にかかり、燃料さえ入れればATで誰もが気軽に運転できる。それは素晴らしいことだ。しかし、クルマは一歩間違えれば人の命を奪ってしまう凶器になりかねないことを、ドライバー全員がもう一度しっかりと認識しないといけないと思う。簡単に運転できるからといって、適当に運転していいわけではないことは、以前にも書いた。ちょっとした不注意や判断ミスが、想像を超えるような大きな事故を招く。他人を巻き込んだらどれほど重い責任をとらなくてはいけないのか、ドライバーはしっかり考えてハンドルを握らなくてはいけない。そのためにも、基本は交通ルールを守ること。自分だけは大丈夫、なんてことは絶対にない。安全な交通社会を維持するためにも、万が一を想像しながら常にクルマを運転するのが、ドライバーの忘れてはならない務めだと思うのだ。
逆走するというのは最悪の判断ミスだ!
最近、ニュースでよく見かけるのが高速道路での逆走による事故だ。なんと昨年1年間で200件以上の逆走事案や事故があったというのだから恐ろしい。本来、来るはずのない対向車が高速道路上で正面から来たときの恐怖は、想像以上のものだろう。実際、以前に首都高の出口で正面から逆走してきた対向車と遭遇したことがあった。スピードが落ちていたとはいえ、一車線の狭い出口車線。しかも後ろからもクルマが来ており、停止するわけにもいかない。そのときは逆走してきたドライバーが自分のミスに気づいてバックしていったから事故にならなかったが、多くの場合はミスに気づかずそのまま突進してくることが多いようだ。このときの原因は、高速出口の一般道交差点で、ドライバーが標識を無視して左折したところ、そのまま高速出口に逆走で入ってしまったようだ。つまり、左方向に行きたかったため、勝手に行けると判断したドライバーが標識を無視して左折したがために起きた、単純な判断ミス。しかし、他人の命を脅かすような重大な判断ミスだ。
高速道路の逆走は6割が高齢者で、そのうち1割が認知症だというデータがあるそうだ。高速道路を運転中に、急に忘れ物を思い出してそこでUターンをしてしまう、といった単純な判断ミスから逆走が始まるケースもある。Uターンしたあと、自分では正しい運転をしているつもりなので、当然ながら左側通行を守る。つまり追い越し車線を逆走することになるわけだ。そして、自分は正しい運転をしていると思い込んでいるので、逆に追い越し車線を走行してくるクルマのことを、対向車線にはみ出して自分をめがけて走行してくる無謀なクルマと思い込み、頑なに追い越し車線を逆走していくのだそうだ。そして、最悪は追い越し車線上で正面衝突だ。
認知症を改善させるために、クルマの運転は頭を使うからいい、と考えている人がいるという記事をみたことがあるが、これこそ無責任というもの。物事の判断が正常にできなくなった人にクルマを運転させるなど、まさに無謀以外のなにものでもない。大きな事故を起こしても、ドライバーに責任能力がない、などとなったら被害者は浮かばれないどころの騒ぎではない。家族に認知症の症状がある人がいるようなら、絶対にハンドルを握らせないように家族が見守るべきだろう。
認知症のように、自分で判断がつかずに逆走してしまうのは事故としかいいようがないが、それ以外の逆走は焦りからくる判断ミスが多いという。たとえば、高速出口をひとつ過ぎてしまい、急いで戻りたいといったケース。次の出口で降りて戻ればいいだけの話なのだが、焦っていることから料金所の手前でUターンし、そのまま本線を逆走してしまうというのだ。信じられないかもしれないが、人は焦ると判断力が低下してそういったミスを犯すそうだ。高速道路の場合、余計に高速料金を支払いたくないという考えも、判断ミスを引き起こす要因のひとつになっているというから驚き。
昨年の9月に阪神淡路鳴門自動車道で逆走してバスと接触事故を起こしたワゴン車は、本来の出口を通過したことで、別の出口だと余計に料金がかかるので会社に知られたくなかったという理由で、本線上でUターンし逆走。追い越し車線を約10㎞もそのまま逆走したというのだから呆れてモノがいえない。この場合は、確かに余計な料金を支払いたくないという考えもあったかもしれないが、判断ミスではなく、故意の逆走であり非常に悪質だ。わずか数百円のために他人の命を危険にさらすなど、許されるものではない。たまたま大事故にはならなかったものの、一歩間違えば死傷者が出てもおかしくない事例だ。
この事例では、道路交通法違反だけでなく、異例の暴行罪も適用してドライバーを書類送検する方針を固めたそうだが、当然の報いといわざるを得ない。できれば運転免許は永久に剥奪し、収監するくらいの重い実刑を与えるべきではないだろうか。それくらいの重大な違反をしたということを、このドライバーは肝に銘じるべきだ。
自分はもちろん、他人の命を危険にさらす運転というのは、あってはならないことだ。そんな簡単なことも判断できないようなら、正直クルマを運転すべきではない。オレは逆走など悪質な違反はしない、という人がほとんどだろう。しかし、逆走のような悪質な違反を犯すそのベースに、交通ルールを甘く考えて普段から守っていないということがあるのではないだろうか。悲惨な交通事故を少しでも減らすためにも、一人一人のドライバーがもっと想像力を働かせ、交通ルールを守って安全運転を心掛けて欲しいものだ。