自分勝手な運転は、他人に大きな迷惑をかけていることを少しは自覚しろ

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【道路問題】マガジンX 2015年2月号 掲載

道路で急にブレーキを踏んだり車線変更をしたら、後続車はもちろん自分にとっても非常に危険であることをまったく考えないでクルマを運転するドライバーが急増している。なぜ、そんなことになってしまうのか?危険なドライバーが増加する背景を考えてみた。

危険な運転をしているのをなぜ気付かないのか

 毎回、このコーナーの原稿を書くのが憂鬱だ。あまりにネタにすることが多すぎるからだ。なんで、日本の交通ルールはこんなにめちゃくちゃになったのか? なんで、正しい交通ルールを守ろうとするドライバーが大幅に減ったのか? 正直危険なことが多すぎて、安心してクルマに乗っていられないのだ。 

 停止線で止まらないなど、かわいいもの。最近目につくのは、市街地の中央に白線がない対面通行道路の交差点で右折する際、道路の右側に沿って曲がっていくクルマ。そう、対向車線に入っているわけだ。もし、反対から左折車両が来れば、完全に正面衝突だ。実際、こちらが左折しようとして、右折してきた対向車とあわや衝突しそうになった。右折してきたドライバーは、頭を下げていたがそういう問題ではない。一歩間違えれば、頭を下げるどころの話ではないのだ。しかし、右折してきたドライバーの表情には、まったく悪びれた様子はなかった。たぶん、自分が非常に危険な運転をしていたという自覚がないのだろう。

 この、自分で危険な運転をしている自覚がない、というのがとても曲者だ。交通ルールを学び運転免許を持っている人であれば、ほんの少し考えるだけで、対向車線に入って右折すればどれだけ危険かわかるハズ。ところがものを考えなくなると、危険なことの判断がつかなくなるらしい。そして、最近このものを考えずに運転しているドライバーが急増している気がするのだ。それはなぜか。

危険な運転をしているのをなぜ気付かないのか

 ものを考えないで運転するドライバーが増えた背景には、クルマの運転がとても簡単になって、誰もが気軽に運転できるようになってことが、大きく関係しているように思える。もちろん、クルマが簡単に運転できることは歓迎すべきことだ。AT車やナビゲーションの普及などで、多くの人が気軽にドライブできるようになったことは素晴らしいことだと思う。

 しかし、簡単・気軽にドライブできることと、適当に運転することでは話が違う。簡単に運転できるようになったとしても、道路状況の判断や目的地までのルートを考えるなど、安全運転を心掛けるのが自覚ある安全なドライバー。クルマ任せで適当に走り、ものを考えずに運転して、危険な運転も判断がつかなくなっているのが危険なドライバーだ。人間は、楽を覚えるとどうしても頭を使わなくなる。簡単な例では、ケータイに登録させた友人や会社の電話番号を記憶している人がほとんどいないことでもわかる。

 たとえば、ナビが普及する前は目的地までの道を事前に調べ、地図をチェックして走った。現在では、ナビに目的地を設定すれば、ナビの案内通りに走れば目的地に着いてしまう。これは素晴らしいクルマの進化といっていいだろう。しかし極端にいえば、なにも考えなくても目的地にいけるということだ。これが、却って問題を起こす。たとえば、道路がナビの表示と違っていたり、ナビに案内された曲がる場所がよくわからないようなケースだ。








 なにも考えずに運転していたのに、急に自分の判断が必要になるのだから、ドライバーは一瞬パニック状態になるのだろう。そこで、急ブレーキを踏んで減速したり、その場に停まったりするのだ。そんなバカなヤツはいないだろう、と思う方もいるかもしれない。ところが、最近立て続けにこんなケースに出くわした。

 初めは一般道の交差点。片側二車線道路の中央車線を走っていると、前のクルマが交差点信号のはるか手前で減速して停止。前に何かあるのか見るとなにもない。故障かと左側車線に変更して前に出ると、なんとナビの画面を見ながら、その先の交差点をどっちに行くのか確認していたのだ。

 また、首都高を走っているとき、江戸橋ジャンクションで東北道方面に向かっていた二台前のクルマが、車線変更できるギリギリの分岐点でいきなり急ブレーキを踏んで停車し、右折するように大きくハンドルを切って湾岸線方向に走って行った。当然前走車はフルブレーキングで衝突を避けたのはいうまでもない。そして、そこからわずか先の東北道と京葉道路の分岐でも、同じように急ブレーキを踏んで東北道方面から京葉道路方面に車線変更をして行ったクルマに遭遇。このクルマは、後ろから来た京葉道路方面に向かうクルマとあわや接触するところだった。

 確か、数カ月前に首都高の分岐で、突然車線変更して進路を変えたバイクを避けようとした観光バスが玉突き衝突をし、多くの人がケガをした事故を覚えている方も多いに違いない。こういった、自分勝手で他人の迷惑を考えない運転が、大きな事故につながるという典型的な例といえるだろう。

 こんなことを書くのもばかばかしいのだが、もしどこで曲がったらいいのかわからない場合、道路上のその場で止まらずに通過してから考えるべきだ。一般道であれば、通り過ぎても路肩の安全な場所に停まって再確認することができるだろう。高速道路の場合でも、道を間違えればナビがリルート計算をしてくれ、新たなルートを表示してくれる。たとえ、それが一度高速を降りることになったとしても、事故を起こして人生を降りるより安いものだ。

とにかくものを考えて運転することに尽きる

 ただし、残念ながらこういったものを考えていないドライバーに“他人の迷惑を考えて運転しろ”と声を大にして言ったところで、馬の耳に念仏、この人何言ってるの?という結果になるのは明らか。なにしろ、自分で危険な運転をしているという自覚がまったくないのだから。そして、大きな事故を引き起こしてしまってから、自分の運転が危険だったことにやっと気付くことになるのだろう。いや、そうなったとしても気付かないかもしれない。お気の毒なことだ。

 こういったものを考えないで運転しているドライバーの自分勝手な危険運転に巻き込まれないよう、正しい運転をしているドライバーは、より周囲の状況をチェックしながら、しっかりとものを考えて運転し自分を守るしか方法はなさそうだ。

 たとえば、ものを考えないドライバーに少しでもものを考えることを覚えてもらうように、免許更新時に簡単な適性検査や筆記試験を義務付けてはどうだろうか。少しでもものを考えて運転するドライバーが増えるのであれば、多少免許更新料金が上がったとしても納得できるというものだ。いや、適性検査や筆記試験をしても、ものを考えない人には結局、馬の耳に念仏か・・・。

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